男だって弱くていいだろ

僕は「男らしさ」の強要を嫌っている。
それは多くの女性が「女らしさ」を押し付けられることの不快感と同様の気持ちだと思っている。

 

cakes.mu

さて、このブログでも言及されているジレットCMについて皆さんどう思われただろうか。
「男らしさを否定するなんて素晴らしい!」「男はこのCMを見習うべきだ!」なんて意見がネット上でも散見される。

 

確かに、「男らしい」行為であるかはともかく暴力やセクハラは容認すべきものじゃない。
それは当然の話だ。


一方で、僕はこのCMも含め、世間の言う「男らしさの否定」についてかなりモヤモヤしたものを抱えている。

 

世間の言う「男らしさの否定」は、今回のCMのように、暴力とかセクハラに代表される男性性がもたらす負の側面にNoを突きつけるものがほとんどである。
それはそれで大事なものであるが、一方で男性性がもたらす正の側面(男は女を守るべきであるという規範、たくさん稼ぐ男は立派であるという価値観)は滅多に問題とされない。

 

誰もが薄々気づいているとは思うが、男性性のもたらす負の側面と正の側面は簡単に切り離せるものではない。
「男は女を守るべき」という規範がある限り、力の強い男が優れている存在とされ、強権的に振る舞うことができてしまう。
また、「たくさん稼ぐ男は立派である」という価値観も危ない。
稼ぎのある男が周りから必要以上にチヤホヤされた結果、「俺は何をしても許される存在だ」と勘違いしてセクハラに走るケースなどは、嫌という耳にしてきたことだろう。

 

このように、「いい意味で男らしい人」をむやみに誉めそやす文化は「男らしさ」の暴走を引き起こす危険性を孕んでいる。
「男らしさ」にNoを突きつけていくためには、男性に課せられる「女を守れという規範」や「甲斐性」なんかを否定していく必要があるのだが、

gendai.ismedia.jp

 

上記の例のように未だ旧態然とした男性観を疑いもしない人間は多い。

(教育的観点ってマジで何なんだ?)

 

「おごり」か「割り勘」か論争でよく見られる意見として「平均賃金は男の方が多くもらっているのだから男がおごるべきだ」というものがよく見られるが、この意見はかなり乱暴である。
もしこの先男女平等が進んで、女性の方が高い平均賃金を得るようになったとしたら、この人たちは同じ論理で「女がおごるべき」と言うのだろうか。
また、全体の平均賃金はともかく、年収200万の男性と年収400万の女性がデートをしたとして、誰がおごるべきなのだろうか。

ハッキリ言ってしまえば、「男は女におごるべき」と強弁してやまない人は、その規範を維持したいがために無理やり理屈づけしているようにしか見えない。

 

 二番目に紹介したブログでは筆者がなぜか男性店員に恨みをぶつけているが、もしこのケースで店員が女性だったとしても同じ論調で責め立てたのだろうか。

当たり前の話だが、男性でも女性でも鈍器を片手に持った酔っ払いには恐怖を感じるし、格闘技経験者でもない限りケガも無く相手を制圧できるわけがない。


以前新幹線内で無差別殺傷事件が起こった際に「周りの男たちは一体何をしていたんだ」という意見を一部の人間が唱えていたが、その意見はジェンダーロールの押し付けとしてかなり批判されていた。

当然のことだ。
いくら男性が女性より腕力において強いといっても、刃物を持った人間相手では、男性も女性もほとんど無力である。
それなのに男性にだけ危険な役割を背負わせることはいい加減やめるべきだ。

「男は女を守るべき」という規範が薄れ、「強い男」に価値がなくなれば、むやみに力を誇示したがる男性も減ることだろう。

 

なお、俳優のエマ・ワトソンはこの問題に以前より言及しており、彼女のスピーチは大きな波紋を呼んだ。

エマも述べている通り、男性性から解放された方が男性だって生きやすい。
僕自身、「男らしさ」を強要され苦しんだ経験は数知れない。


それなのにどうして、多数の男性は「男らしさ」を捨てられずにいるのだろう?


その答えは、「男らしさ」を捨てた男性する世間の冷たい目にあるのではないだろうか。
つまり、「男らしさ」を捨てたくないのではなく、捨てることができないという説だ。

無職の男性に対する世間の厳しさは、改めて述べるまでもなく誰もが認識しているだろう。
低収入の男性に対する風当たりの強さも相当なもので、

 


こういった無礼千万な意見が何故か相当数の人間に支持されている。

ここまで極端でなくとも、収入の多寡と人間性を結びつける根拠不明の主張がインターネットには溢れている。

本当にバカバカしい。


そして「男らしさ」の規範から降りた男性は日本では「草食系男子」と呼ばれるが、彼らに向けられるコメントの時代遅れ感たるや。

 「モテない奴の言い訳でしょw」とか侮蔑の言葉をかけられるのを承知の上で、「降りる」覚悟をした彼らを笑うな。

girlschannel.net

(ただ、草食系男子については女性よりも男性の方がバカにしている節がある。マッチョカルチャーの根は深い) 

 

以前僕のブログで散々批判してきたはあちゅうの童貞いじりなんかも同じ文脈で、「男らしくない」男性を嘲笑う態度を隠そうともしない醜悪なものだ。

billword.hatenablog.com


これまで見てきたように、世間の「男らしくない」男性に対する評価は惨憺たるもので、これではいつまで経っても男性は「男らしさ」から降りられない。
エマ・ワトソン一人が理想論として「男らしさから降りてもいいんだよ」と言ったところで、現実がこうでは解決は遠そうだ。

 

ツイッターによくいるミサンドリスト(男性嫌悪主義者、ただし女とは限らない)は「『男らしさ』は男が生み出した問題だから男だけで解決しろ!女は関係ない!」と主張するが、はあちゅうのような態度を支持する女性も一定数いる以上、女性が無関係とは到底言えないだろう。
これは男女がともに考え、解決していかねばならない社会問題である。

 

では、「男らしさ」から脱却するために必要な態度とはどのようなものだろうか。

 

それは「弱い男」「ダサい男」「頼りない男」を否定しないことだと愚考する。
刃物に怯え逃げる「弱い男」、おごってくれない「ダサい男」、声の小さい「頼りない男」を決して見下さず、彼らを対等な人間として扱うことがスタートラインなのである。

 

女性であれば刃物から逃げることも異性に食事をおごらないことも声が小さいことも取り立てて非難されない。
当たり前だ。
それは個性や性格の範疇なのだから。

 

男性だって同じだろう。
臆病さや気弱さはその人の個性で、否定されるべきじゃない。

 

もういい加減、「男らしい男」を高く評価し、そうでない男性を誹謗するのをやめよう。
「男女平等は男性をも救う」という綺麗事を、そろそろ現実にしていきませんか?

 

 

(同じように「女らしくない」女性を非難することに対しても僕は嫌悪感を表明する。ただ、女性への抑圧は他の人のブログでも散々議論されているので今回は省略させてもらった。何か機会があればまた書こうとは思っている)