男だけど#KuTooに賛成する

 

www3.nhk.or.jp


#KuToo というムーヴメントが社会を賑わせている。
この運動は端的に言えば「パンプス強制って本当に必要な文化なの??」と社会に疑問を投げかけるもので、その試みには全面的に賛同したい。

パンプスを履くことがマナーとなっている場面は様々あるが、そのすべてで本当にパンプスが必須なのだろうか?

たとえば結婚式場のスタッフのように、儀礼にまつわる職業であればパンプス着用にも一定の合理性があるだろう。主賓も来場者も正装している中、スタッフだけラフな格好を貫くことには違和感がある。


しかし就職活動のように歩き回ることが強制されるシチュエーションにおいて、パンプス着用を義務づけるのはあまりに酷である。
自分は男性でありパンプスは履いたことはないが、革靴のせいで靴擦れを起こしたこともあるし、今でもその傷跡は残っている。

その傷はたぶん一生消えないのだろう。


当たり前の話だが、合説やら何やらで数kmも歩けば当然革靴でもかなり足に負荷がかかるし、就職活動で初めてスーツを着る学生だって珍しくない。
歩きやすい革靴とかもあるけどそういうのは大抵値が張るので、学生には手が届かないし…
そりゃ靴擦れだって起きるよ。

どうやらパンプスは革靴よりさらに足への負荷がキツいらしく、そんな装備で歩き回るだなんて、そら恐ろしい。
実際友人や同僚の女性から「マジでパンプスがキツい」という話を聞いたこともあるし、個人的には「もうパンプス規制しちゃえよ」とすら思う。

就職活動には儀礼的な側面があるからパンプスにすべき、という理屈はわからなくもない。
就活生からすれば人生を左右される闘いだし、採用側としても会社の命運が左右される大博打だ。
ある程度服装に制限がかかるのは仕方ない面もあるだろう。

でもわざわざパンプスや革靴である必要はあるのか?
もうちょっとマシな選択肢があるだろ、と。

とは言えいきなり「パンプスも革靴も全廃せよ!」と主張しても強い反発を生むだろうから、徐々に変えていくしかないんだろうな。
うまくブームにできず下火になっている「通勤時はスニーカーでええやん」的な運動とか、その辺りから再興していくものいい。

黎明期は「ダサい」とか「最近の若いやつは」とか言われそうだけど、そんな声もいずれ消え去ることだろう。
「カジュアルでええやん」という声が大きくなれば、なんとなくムードに流される人もきっと増えるはずだ。
俺たちは雰囲気で社会をやっている。

もちろんオフィスカジュアルに反対する意見のすべてが不合理だとは思わないし、反対派ともきっちり対話していく必要はあると思うけど、俺は#KuToo含めオフィスカジュアルに賛成だ。
事務職なのにパンプス強制とか、そういう謎ルールはもうやめてこうぜ。

まあ、俺がパンプス強制に異を唱えることには打算的な側面もある。
女性のパンプス強制がなくなれば男性のスーツ強制文化も緩和されていくのではないか、と期待しているのだ。

ちなみに俺がいま働く職場に限って言えば女性はみんな私服なので、男性も比較的カジュアルめのスーツで許されてる。
女性が制服+パンプスを強制されていた前職では男性もカッチリしたスーツ以外許されていなかった。(まあ前職は接客業だったからしょうがない部分もあるけど…)


男女の服装規定の厳しさは相互に連動しており、片方だけが厳しい業界というのはかなり珍しい。男性が私服で働いてる業界で女性従業員がパンプスを強制される、とかほとんどないだろうしな


異性の服装規定が緩和されればもう一方の性もだんだん楽になっていくことを考えれば、男女関係なくどんどん#KuTooに賛同するのが一番効率的に思える。


 

 
ただ、#KuToo提唱者本人は男性の問題を突っぱねたり、偏った主張をリツイートしたりと、なぜか男女の連帯に抵抗を示していて、複雑な気持ちもある。男女が一緒に声を上げた方が効果的だろうに「一旦黙る」ことの必要性がマジで俺にはわからない。
「女性固有」に異様なこだわりを見せるあたり、色々大変な人なんだろう。


幸いなことに本件については「男はすっこんでろ!」とか「女は我慢してろ!」系の過激な主張をしている人はそこまで多くなく、「女性のパンプスも男性の革靴も減らしてこうぜ」って人の方が多いように思える。

過激な意見が支持されがちなヤフコメやはてブでもフラットな意見が多く見られて,

いくらか安心した。

 

headlines.yahoo.co.jp

b.hatena.ne.jp

 

 

 
本件に限って言えば異性の口を塞ぐメリットまったく無いしな。

無意味なパンプス強制がなくなって、自分の伴侶や友人知人女性の負担が減るなら願ったり叶ったりだ。
ついででいいから男性の窮屈なスーツ文化も一緒に見直していけたら嬉しいとも思う。

しんどいことは減らしていこうな!

 

男だって弱くていいだろ

僕は「男らしさ」の強要を嫌っている。
それは多くの女性が「女らしさ」を押し付けられることの不快感と同様の気持ちだと思っている。

 

cakes.mu

さて、このブログでも言及されているジレットCMについて皆さんどう思われただろうか。
「男らしさを否定するなんて素晴らしい!」「男はこのCMを見習うべきだ!」なんて意見がネット上でも散見される。

 

確かに、「男らしい」行為であるかはともかく暴力やセクハラは容認すべきものじゃない。
それは当然の話だ。


一方で、僕はこのCMも含め、世間の言う「男らしさの否定」についてかなりモヤモヤしたものを抱えている。

 

世間の言う「男らしさの否定」は、今回のCMのように、暴力とかセクハラに代表される男性性がもたらす負の側面にNoを突きつけるものがほとんどである。
それはそれで大事なものであるが、一方で男性性がもたらす正の側面(男は女を守るべきであるという規範、たくさん稼ぐ男は立派であるという価値観)は滅多に問題とされない。

 

誰もが薄々気づいているとは思うが、男性性のもたらす負の側面と正の側面は簡単に切り離せるものではない。
「男は女を守るべき」という規範がある限り、力の強い男が優れている存在とされ、強権的に振る舞うことができてしまう。
また、「たくさん稼ぐ男は立派である」という価値観も危ない。
稼ぎのある男が周りから必要以上にチヤホヤされた結果、「俺は何をしても許される存在だ」と勘違いしてセクハラに走るケースなどは、嫌という耳にしてきたことだろう。

 

このように、「いい意味で男らしい人」をむやみに誉めそやす文化は「男らしさ」の暴走を引き起こす危険性を孕んでいる。
「男らしさ」にNoを突きつけていくためには、男性に課せられる「女を守れという規範」や「甲斐性」なんかを否定していく必要があるのだが、

gendai.ismedia.jp

 

上記の例のように未だ旧態然とした男性観を疑いもしない人間は多い。

(教育的観点ってマジで何なんだ?)

 

「おごり」か「割り勘」か論争でよく見られる意見として「平均賃金は男の方が多くもらっているのだから男がおごるべきだ」というものがよく見られるが、この意見はかなり乱暴である。
もしこの先男女平等が進んで、女性の方が高い平均賃金を得るようになったとしたら、この人たちは同じ論理で「女がおごるべき」と言うのだろうか。
また、全体の平均賃金はともかく、年収200万の男性と年収400万の女性がデートをしたとして、誰がおごるべきなのだろうか。

ハッキリ言ってしまえば、「男は女におごるべき」と強弁してやまない人は、その規範を維持したいがために無理やり理屈づけしているようにしか見えない。

 

 二番目に紹介したブログでは筆者がなぜか男性店員に恨みをぶつけているが、もしこのケースで店員が女性だったとしても同じ論調で責め立てたのだろうか。

当たり前の話だが、男性でも女性でも鈍器を片手に持った酔っ払いには恐怖を感じるし、格闘技経験者でもない限りケガも無く相手を制圧できるわけがない。


以前新幹線内で無差別殺傷事件が起こった際に「周りの男たちは一体何をしていたんだ」という意見を一部の人間が唱えていたが、その意見はジェンダーロールの押し付けとしてかなり批判されていた。

当然のことだ。
いくら男性が女性より腕力において強いといっても、刃物を持った人間相手では、男性も女性もほとんど無力である。
それなのに男性にだけ危険な役割を背負わせることはいい加減やめるべきだ。

「男は女を守るべき」という規範が薄れ、「強い男」に価値がなくなれば、むやみに力を誇示したがる男性も減ることだろう。

 

なお、俳優のエマ・ワトソンはこの問題に以前より言及しており、彼女のスピーチは大きな波紋を呼んだ。

エマも述べている通り、男性性から解放された方が男性だって生きやすい。
僕自身、「男らしさ」を強要され苦しんだ経験は数知れない。


それなのにどうして、多数の男性は「男らしさ」を捨てられずにいるのだろう?


その答えは、「男らしさ」を捨てた男性する世間の冷たい目にあるのではないだろうか。
つまり、「男らしさ」を捨てたくないのではなく、捨てることができないという説だ。

無職の男性に対する世間の厳しさは、改めて述べるまでもなく誰もが認識しているだろう。
低収入の男性に対する風当たりの強さも相当なもので、

 


こういった無礼千万な意見が何故か相当数の人間に支持されている。

ここまで極端でなくとも、収入の多寡と人間性を結びつける根拠不明の主張がインターネットには溢れている。

本当にバカバカしい。


そして「男らしさ」の規範から降りた男性は日本では「草食系男子」と呼ばれるが、彼らに向けられるコメントの時代遅れ感たるや。

 「モテない奴の言い訳でしょw」とか侮蔑の言葉をかけられるのを承知の上で、「降りる」覚悟をした彼らを笑うな。

girlschannel.net

(ただ、草食系男子については女性よりも男性の方がバカにしている節がある。マッチョカルチャーの根は深い) 

 

以前僕のブログで散々批判してきたはあちゅうの童貞いじりなんかも同じ文脈で、「男らしくない」男性を嘲笑う態度を隠そうともしない醜悪なものだ。

billword.hatenablog.com


これまで見てきたように、世間の「男らしくない」男性に対する評価は惨憺たるもので、これではいつまで経っても男性は「男らしさ」から降りられない。
エマ・ワトソン一人が理想論として「男らしさから降りてもいいんだよ」と言ったところで、現実がこうでは解決は遠そうだ。

 

ツイッターによくいるミサンドリスト(男性嫌悪主義者、ただし女とは限らない)は「『男らしさ』は男が生み出した問題だから男だけで解決しろ!女は関係ない!」と主張するが、はあちゅうのような態度を支持する女性も一定数いる以上、女性が無関係とは到底言えないだろう。
これは男女がともに考え、解決していかねばならない社会問題である。

 

では、「男らしさ」から脱却するために必要な態度とはどのようなものだろうか。

 

それは「弱い男」「ダサい男」「頼りない男」を否定しないことだと愚考する。
刃物に怯え逃げる「弱い男」、おごってくれない「ダサい男」、声の小さい「頼りない男」を決して見下さず、彼らを対等な人間として扱うことがスタートラインなのである。

 

女性であれば刃物から逃げることも異性に食事をおごらないことも声が小さいことも取り立てて非難されない。
当たり前だ。
それは個性や性格の範疇なのだから。

 

男性だって同じだろう。
臆病さや気弱さはその人の個性で、否定されるべきじゃない。

 

もういい加減、「男らしい男」を高く評価し、そうでない男性を誹謗するのをやめよう。
「男女平等は男性をも救う」という綺麗事を、そろそろ現実にしていきませんか?

 

 

(同じように「女らしくない」女性を非難することに対しても僕は嫌悪感を表明する。ただ、女性への抑圧は他の人のブログでも散々議論されているので今回は省略させてもらった。何か機会があればまた書こうとは思っている)

 

zozo100万円ばら撒きキャンペーンに参加した人は「卑しい」のか

zozo社長前澤氏による100万円ばら撒きキャンペーンが大きく世間を賑わしている。
彼の行ったキャンペーンは賛否両論の様相を呈しており、中には厳しい批判の声も上がっているようだ。

 

note.mu

 

前澤社長への批判は上記のブログでほとんど言い尽くされているので、本稿では別の視点、「100万円キャンペーンに参加した人たち」をどう評価すべきかについて述べていきたい。

 

キャンペーンの主催者である前澤社長が批判されているのと同様に、キャンペーン参加者、つまり前澤氏のバラマキ宣言ツイートをRTした人たちも一定の批判を受けている。


よくあるのは「キャンペーン参加者は卑しい」というキツい表現だ。

確かに、ほとんど知らない他人に対し金銭を要求をするのは卑しい振る舞いだと思われても仕方ないように思える。

 

ここで一度考えたいのが、そもそも「他人に金銭を要求する行為は卑しい振る舞いなのか」ということである。

 

昨今、残業代を払わない使用者に対し訴訟を起こす労働者が目立っているが、彼らは卑しいのだろうか。
僕は明確に「ノー」と言いたい。
労働者には適正な労働の対価を要求する権利がある。
この「適正」というのはなかなか厄介な概念であるが、少なくとも残業代が一切払われないことはほとんどのケースで不当であると言って良いだろう。

労働者が労働力という価値を提供するのに対し、使用者が対価を払わないのは現代社会では「搾取」と呼ばれる。

 

ところで、大した労力を払わず前澤社長から100万円を得ようとしたzozoのキャンペーン参加者は、この「対価を払わない使用者」と何が違うのだろう。

 

大きく違う点は2つ。
①「価値を提供する側」の前澤社長が自ら「簡単な作業だけで100万円を提供して構わない」と言っている点。
②キャンペーン参加者は前澤社長の提示した「フォロー&RT」という条件を満たしており、広告活動に貢献しているため、前澤社長に対し一定の利益供与をしている点。

この2点を踏まえると、キャンペーン参加者が前澤社長を搾取しているとは言えなさそうだ。
抽選(というか選考)があるとは言え、「フォロー&RT」をするだけで100万円を貰えるというのはあまりに極端な設定ではある。

そこに違和感を持つ人はいそうだが、それだけを理由に参加者を責めることはできまい。
(余談だが、フォロー&RTだけじゃなくリプを送るのも後出しの条件として設定されているのではという疑惑は出ている)


キャンペーン参加者は前澤社長を搾取しているわけではなく、両者の間では合意が取れている。

一見すると何の問題も無いように思えるが、それでもなお多くの人が不快感を示すのは何故なのだろう。

 

この問題を解き明かす一つの答えは、人間の「他者が見せるモロ出しの欲望に引いてしまう」という性質であろう。

 

僕自身は今回のキャンペーンに参加しなかったが、正直に言えば突然自分の口座に5000兆円が振り込まれてたらいいのに、という欲望は持っている。
金というのは重い。金のために人間が狂うというのも理解できる。

 

しかし欲望を上手にコントロールしなければ、平穏な世界はたやすく崩壊する。
それは「戦争」という利益の奪い合いの極地を通して人類が何度も経験してきたことだ。
人間がモロ出しの欲望に嫌悪感を持つことが本能によるものか経験によるものかはわからないが、かなり合理的な感覚ではある。

 

「嫁を10人くらい揃えて日替わりでイチャイチャしたいぜ!」だとか「毎月20万のお小遣いをくれるイケメンの彼氏が欲しいなっ」といった欲望を持つこと自体は悪いことと言えないし、似たような妄想をしたことのある人も少なくはないはずだ。
一方で、twitterなどで「日替わり嫁」を求めたり「ATM彼氏」を本気で探している人がいたら、「えっ、どんだけワガママなんだ」「流石に引くわ…」と感じるのが世間的な感覚ではなかろうか。

頭のうちに留めているうちはまだしも、実際の行動にまでモロ出しの欲望が反映されると目もあてられない。

 

今回のzozo100万円キャンペーンに嫌悪感を催した人はきっと、キャンペーン関係者が見せつけるモロ出しの欲望に不快感を覚えたのだろう。

 

ただ僕の場合、「楽して100万円欲しい」という気持ちを持つこと、「その欲望をモロ出しにする人間に対する嫌悪感」の両方が理解できてしまうため、どちらか一方だけを責めることはできない。

今回はたまたま欲望が暴走しなかっただけの僕には、キャンペーンに参加した人たちを嘲笑う資格は無いと考えている。

 

率直な気持ちを述べると、「話題を集めて利益を上げたい」という欲望をモロ出しにしながら「夢」だの「希望」だの甘い言葉でその欲望を誤魔化す前澤社長のスタンスは嫌いだし、「あわよくばおこぼれに与かりたい」という欲望をモロ出しにしながら前澤社長を持ち上げる連中のことも嫌いだ。

(不思議なことに、同じモロ出し族でも抽選に外れたと分かった瞬間に前澤社長のフォローを外したりRTを取り消したりした人のことはあんまり嫌いになれない。なんでだろ)

 

彼らの気持ち悪い欲望を嫌悪しながらも、自分の醜さを白日の下に晒されたような気分も感じていて、どうにもやり切れない。

「お前らは卑しい」と断罪して気持ちよくなりたいのに、己の手にこびりつく汚れが気になって仕方ないのだ。

 

この記事を読んでいるあなたは、キャンペーンに参加した人だろうか、それともキャンペーンを嫌い参加しなかった人だろうか。

どっちでもいいんだけど一つだけ問いたい。

 

あなたは、自分が卑しくないと言えますか?

 

「日本の男」と「日本の女」はどちらが生きづらいか

ネット上の男女対立が激化したのはいつからだろうか。

正確な年代はよくわからないが、スマートフォンが台頭し、老若男女誰でもインターネットにアクセスできるようになってから、対立が酷くなったように感じる。

 

sonicch.com

togetter.com

 

御覧の通り、昨今の男女対立は見るに堪えない有様である。

「一部の極端な奴らがバカなことしてるだけだろ」と言いたくなる気持ちはわかるが、「一部の極端な奴」の影響力を侮ってはいけない。

 

俳優によるレイプ事件でなぜか男性全体が責められ、痴漢冤罪をでっち上げた一部のアホのせいで実際に被害に遭った人まで白い目で見られるようになった。

「一部の極端な奴」はいわゆる「普通の人」の価値観まで捻じ曲げるほどのパワーを持っている。

 

そんな連中に惑わされてまんまと男女対立にハマって、悔しくはないか?

俺は悔しい。

 

ここでタイトルに戻ろう。

「日本の男」と「日本の女」はどちらが生きづらいか。

それに対する俺の答えはこうだ。

「どっちも生きづらいし、そんなことを比べること自体不毛」

 

誤解しないで欲しいのだが、俺は男女それぞれの苦しみを相殺したいわけじゃない。

男性に偏る自殺・過労死率の高さだったり、根強く残る女性差別も解消すべきだと思っている。

どちらも解消すべきだからこそ、「俺の方がつらい」「いや私の方がつらい」と争わず、協調して問題に取り組むべきではないだろうか。

繰り返し言うが、苦しみの総量を比べることは不毛であるし、そもそも比べることができる類のものではない。 

 

 

 このツイートは問題の核心を突いている。

 

 男の言う「女は主婦になれるから楽だよなー」という発言も、女の言う「男は仕事を楽しめていいよね、それに比べて家事育児はつらいことばかりで…」という発言も互いに相手の苦労を軽視しているからこそ湧いてくる発想なのである。

 

 冷静に考えてみれば当たり前のことなんだが、仕事も家事も育児もしんどい。

めちゃくちゃしんどい。

上司や取引先から怒鳴られなじられ、彼らの気分一つで心身を削られること。

一日たりとも休みが取れず家の管理をすること。

子どもとかいうめっちゃ理不尽な生き物の相手を一日中すること。

 

みんな当たり前のようにやっているが、「みんなやってる=簡単」ではないし、何ならちゃんとやれてない人の方が多いんじゃないかとすら思えてくる。

 

ネットでの男女対立は本当に酷いものであるが、リアルでは「妻を尊敬する夫」「夫を尊敬する妻」に結構出会うこともある。

もちろん彼らにだって愚痴はあろうが、それでも言葉の端々から夫婦が互いに尊敬しあっている様子が見て取れる。

もしかしたら、この記事を読んでいるあなたの両親もそんな風だったのではないだろうか。

(余談だが俺の両親は互いを軽蔑しており、現在別居している。普通一般の夫婦はそんなに仲は悪くないらしいですね)

 

男も女も生きづらいんだからお互いに敬意を持って生きようね、というのが理想論であり俺の結論でもあるのだが、こんな月並みはことを言って終わるのはどうにも味気ない。

 

例として結婚している男女を挙げたが、独身の男女でも「お前らの方が楽してるだろ!」という思い込みを持ってしまうことはある。

どうして人間は「男or女は楽をしている」という思い込みに陥ってしまうのだろうか。

 

一つは、先ほど例に挙げた「互いの仕事に対する無責任さ」だろう。

隣の芝は青い。

その青い芝を保つのに、隣人がどれほどの苦心をしているか俺たちは知ろうともしない。

 

もう一つの理由は以下の通り。

 

これは男女どちらにも言えることなのだが、社会的に冷遇されている異性を無視し、優遇されている異性だけを見て「アイツらは楽をしている!」と叫んでいる人が大半ではなかろうか。

「手取り十二万でボロボロになるまで働く男」になりたい女はいないし、「水商売ですら稼げない容姿の女」になりたい男はいない。

 

そしてインターネットで言い争っているのは「社会的に冷遇されている男女」なのだが、要するに糾弾すべき相手を間違っているのである。

この層が言い争ったとして、男に「女は養ってもらえるから楽だよなw」と言われても「私を養ってくれる人間なんざいねーよふざけんな!」となり、女に「男はモラハラセクハラばっかり」と言われても「ハラスメント以前に女との関わりすらねーんだよふざけんな!」となりそもそも話が噛み合わない。

 

「社会的に冷遇されている層」が互いに言い争うことがいったい「誰が」得をしているか、考えてみた方がいいのではないだろうか。

 

アレコレと述べてきたが、俺が結論として言いたいのは「ネット上の男女対立は不毛」ということに尽きる。

夫婦が言い争っても、非モテ同士が言い争っても、結局社会は良くならないし自分の人生だって良くならない。

言い争う行為がガス抜きになっている人もいるだろうから「絶対にやめろ」とは俺からは言えないが、たまに自分の発言を振り返ってみるのも大事なことだと思う。

 

(なんて偉そうなことをつらつらと述べきたが、俺もたまに異性を恨むコメントをしてしまうことがある。どうにも情けなくなってきたのでここで筆を置く)

 

はあちゅうの結婚を叩くのをやめろ

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俺ははあちゅうが嫌いだ。
あんな無自覚セクハラモンスターを好きになれるわけがない。
どれだけ批判を受けようと一切反省しない態度、加害者のくせに被害者面するあのふてぶてしさ。
はあちゅうは様々な人間から疎まれているだろうし、彼女が受ける批判の大抵は自業自得だ。

ただ、だからと言って、彼女に何を言ってもいいわけじゃない。
今回はあちゅうが受けたバッシングは、はあちゅう嫌いの俺から見ても「やり過ぎ」と言わざるを得ない。

俺もはあちゅうにバカにされてきた人間の一人だから彼女の結婚を祝う気には到底なれないが、「これ幸い」とはあちゅうをボロクソに貶めるのは違うだろ、とも思う。

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ひっでえなあ、と思った意見。
「彼女にとっての序列はセックス経験」ってなんだよ。
AV男優と結婚する=カラダorテクニック目当てって失礼すぎるだろ。
しみけんの人柄とか、人生観とか、そういうので惹かれたかもしれないのに。
俺はしみけんのこと全然知らないんだけど、彼はどうやら結構好感度の高い人物らしい。
そういう面を無視した暴力的な言説だと思った。

っていうかこれ、はあちゅうとしみけんに対するセクハラだよな。
俺ははあちゅうのことが嫌いだし、しみけんのこともどうでもいいけど、彼女らにセクハラしていいとはまったく思ってない。
彼女らに性的なからかいを投げかける奴は、童貞をバカにするはあちゅうと同列だよ。
もうこういうのやめようぜ。


「#metooとか言ってたのにAV男優と結婚するのかよww」
って意見もいくつか見かけた。

いや、そこは文句つけるとこじゃないだろ。
セックスワーカーと交際してたからって告発の資格を問われるのはおかしい。
AV強要問題とか色々複雑な事情もあるだろうけど、セクハラ被害について声を上げることは少しも悪いことじゃない。
岸氏も認めたように、はあちゅうはセクハラ被害を受けていた。
それが事実であるなら、彼女には声を上げる資格がある。
「誰々と付き合いがあるからアイツは告発する資格がない」なんて縛りかけて喜ぶのはセクハラ加害者だけだろ。

はあちゅうにはセクハラを告発する資格がある。
童貞にもセクハラを告発する資格がある。

それでいいじゃねえか。


あと、いちいち晒したくはないがTwitterはあちゅうに性的なリプライ送ってる奴。
マジでやめろ。
お前らのやってることはな、はあちゅうと同格かそれ以下だぞ。
そんな愚劣な人間にはなりたくないだろう?
はあちゅうを凹ましてやりたい気持ちはわかるけどさ、そこは踏みとどまろうぜ。


それから、興味深い意見を見かけた。

twitter.com
はあちゅうの精神安定の道具にされてたのかと思うと腹ワタが煮えくりかえるが、一方ではあちゅうも被害者なのかもしれないと感じた。

世間からは「セックスをまったくしない男性(童貞)」や「セックスしまくりな男性(AV男優含むヤリチン)」は冷たい目で見られることが多い。
これははあちゅうの炎上の際にも述べたが、性経験の多寡で相手の人間性を測るのは非常に愚劣な考え方だ。
はあちゅうはその愚劣な考え方を内面化してしまっているため、彼氏の「AV男優」という職業をどこかで軽蔑していたのではないだろうか。
自らの内に潜むセックスワーカー蔑視に耐えられず、「それでも童貞よりはマシだから彼は底辺なんかじゃない」と思い込むために「童貞」という藁人形を苛烈に殴りつける女…
こう解釈すれば憐みさえ湧いてくる。
性経験の多寡で人間性を決めつけるような偏見が世間にはびこっていなければ、彼女もセクハラ大魔人とならずに済んだのかもしれない。


twitter.com
(余談だけどしみけんの浮気が事実ならそこを突かれるのは仕方ない気もする。彼がセックスワーカーであること自体は何も悪いことじゃないけど、婚約者に隠れてコソコソやるのはダメだろ。浮気や不倫はよくない。みんなが不幸になる)


まあ、はあちゅうを叩きたくなる気持ちはわかるよ。

でもな、アイツは当初結婚の報告をしただけなんだ。
それ自体は悪いことじゃない。
はあちゅうの幸せに水を差したくなるのはわかるけど、そこで踏みとどまれるかどうかが人間性の分かれ目なんじゃねえか。
性経験の有無なんかより、よっぽど大事なことだ。

はあちゅうとの関係において童貞はセクハラ被害者だが、被害者だからといってどんな振る舞いも許されるわけじゃない。
そもそも俺たちが生きやすい社会は「性経験の有無で差別されない社会」であり、「調子乗ってる奴をボコボコにしやすい社会」ではないはずだ。

はあちゅうを批判するのは結構。
でも、その批判の仕方については慎重になろうな。
頼むよ。

(なんて綺麗事言いながら、正直はあちゅうをおちょくる文章を読むと胸がスッキリしてしまう。この点俺もまだ半人前なので、自戒を込めて。)

童貞は#metooしてはならないのか

nyaaat.hatenablog.com

 

 

もうはあちゅう関連の件でブログを書くことはないと思ってたけど、ごめんこれは我慢できないわ。

 

はあちゅう氏を叩いてスッキリするよりも、今はもっと大事なことがあるのに。
はあちゅう氏に「告発者の資格」を問うよりも、それは一旦保留して、ハラスメントが横行する電通(ひいては日本企業)の体質を批判し改善を促すことの方が大切なのに。」

 

いやいやいや。

何これ。

ツッコミどころ多すぎるだろ。

 

 「はあちゅうを叩いてスッキリ」って何?

過去のブログ(ありがとう、はあちゅう。君のことは忘れない - billword’s blog)でも書いたけど、はあちゅうへの批判を通じて建設的な議論が生まれたこととかまったく知らんの?

そもそも「叩き」って言葉選びがすげー悪意あるよね。

被害者が声を上げることは「叩き」なんですか?

 

「今はもっと大事なことがあるのに」

 

ここが特にえげつない。

はあちゅうが受けた被害は「大事」で、童貞が受けた嘲笑は「些事」だって主張してるようにしか見えないんだけどさ。

確かにはあちゅうの被害の方が深刻なのは認める。それは否定できない。

でもだからと言って、「お前らの痛みは大したことないから後回しなw」って言われて黙ってられるかよ。

童貞はそうやってずーーーーーーーっと後回しにされてきたんだよ。

なあ、そろそろ声上げたっていいだろ?

 

はあちゅうのことは別のタイミングで批判しろ」って意見も結構見かけたけど、「別のタイミング」じゃダメなんだよ。

平常時に童貞がいくら叫んだところで誰も耳を傾けやしない。

「そんなんだから童貞なんだよ」

「童貞が顔真っ赤w」

いずれも俺がネットで受けた罵倒だ。

はあちゅうの件以前にも何度か童貞に関する記事を書いたことがあるけど、いずれもネット民の反応は惨憺たるものだった。(結局虚しくなって消した)

 

ほとんど誰からも擁護されて来なかった童貞が切なる声を上げるにはあのタイミングが最も適切だったと俺は考えている。

何より、性的なからかいを受けた人間が加害者を告発する行為は#metooの理念に沿うものだろう。

童貞には#metooする資格は無いんですか? 

 

 

はあちゅう氏に「告発者の資格」を問うよりも』

 

問うてねえよ。

俺ははあちゅうが大嫌いだけど、彼女の受けた被害には同情するし、「告発すんな」とは一度も書いてないんだが。

っていうか、俺に限らずはあちゅうに「告発者としての資格は無い」って言ってるやつそんなにいるか?

「彼女の被害には同情するけど」っていう前置きをした上ではあちゅうを批判してる人の方が明らかに多いぞ。

代表的なのは恋愛ライターのトイアンナさんとかな。

https://twitter.com/10anj10/status/944954108124864513

 

 

つーか告発者の資格を問うてるのはお前の方だろ 。

はあちゅうを批判するより電通やら企業を批判しろ、って何?

童貞は自分を傷つけた人間を告発する暇があるなら大義のために戦えってか。

俺らには戦う相手を選ぶ資格は無いってのか?

 

「個人叩きに虚しく失われるエネルギーを、社会をよくする方向に向ける方法はないのだろうか、と私は思うに至ったのです。」

 

俺はニャートさんみたいに立派な人間じゃないからさ、「社会をよくしたい」とかいう高尚な理由でブログを書くことはできない。

あんな風に毎日記事を書いたのははあちゅうを心底許せないと思ったからだ。

 

それでも俺の記事を読んで、何かを感じてくれた人はたくさんいるらしい。

それを「個人叩きに虚しく失われるエネルギー」とか言われたら、やっぱり腹立つよ。

 

「弱者を生み出す社会の構造を変えていくよう働きかけ」

 

はあちゅう批判はまさしくこの働きかけだと思うんだけど…

別のブログでも引用したけど、もう一回すごく大事な記事貼っとくね。

なぜ「童貞」を笑いのネタにしてはいけないのか?|アメリカはいつも夢見ている|渡辺由佳里|cakes(ケイクス)

 

結論として、一連の騒動が本当にただのはあちゅう氏への個人攻撃」だったと思ってるならもっと勉強してから出直してこいとしか言えない 。

 

「童貞」はチワワか毒蛇か問題

 

「童貞いじり」で一躍時の人となったはあちゅう氏。

彼女のハチャメチャな振る舞いについてまだご存じない方は下記のリンクからどうぞ。

hagex.hatenadiary.jp

 

 

さて、我々はこれまで「はあちゅうは童貞を心底見下している悪辣な人間だ」という前提で論を進めてきた。

しかし一面的な物の見方は偏った思考を生み出しやすい。

 

ここは一度前提を疑って、「はあちゅうは実は童貞を見下しておらず、彼らをチワワのような愛すべき存在と見なしている」という考えをベースに今回の問題を考えていきたい。

 

まずはあちゅう氏は、「童貞いじり」について激しい批判を受けた際、大いに困惑したことだろう。

チワワを撫でまわしていたつもりが、気づけば取り返しのつかない大怪我を負っていたのだから。

周りの人は「童貞」がチワワなどという可愛らしい生き物ではなく、一歩取り扱いを間違えると命に関わる毒を持った蛇だと知っていたため、彼女の軽率な振る舞いは失笑を買った。

 

「童貞」が毒蛇であると認識できないはあちゅう氏は「チワワを撫でていただけでこんな目に遭うのはおかしい!どうして私が毒に苦しまなきゃいけないの!」と叫び続けるが、ほとんどの人は彼女の自業自得だと判断してまともに取り合わない。

根本的にずれたこの認識がはあちゅう氏の支離滅裂な対応を生み出しているのだろう。

 

吉田豪氏は彼のブログ内において「童貞をネタにしたらいけないってことじゃなくて、童貞をネタにするには技術と気遣いが必要ってだけの話かと。」

http://tablo.jp/serialization/news002670.html

と上手く結論付けたが、これはまさしく毒蛇の例えに当てはまる。

専門知識(技術)の無い者が軽率に毒蛇の首根っこを掴めば、たちまちその毒牙を浴びることになるだろう。

まして、毒蛇を無害な愛玩動物と勘違いしている人間なら尚更。

 

ところで皆さんは「ヤマカガシ」という蛇をご存じだろうか。

日本に生息する、強い毒を持った蛇だ。

この「ヤマカガシ」という蛇には面白いエピソードがある。

実はこの蛇が毒を持っているという事実が発覚したのは近年で、それまではずっと無毒な蛇だと思われてきた。

「ヤマカガシ」が無毒であると勘違いされてきた要因の一つは、彼らが非常に大人しく、滅多なことでは噛みつかない性格をしていたからだと言われている。

 

毒を持つ蛇、と聞くと思わず身構えてしまう人も多いだろうが、毒蛇のすべてが凶暴なわけではない。

余計な手出しさえしなければ、むしろ無害な生き物と扱ってよい種も少なからず存在するのである。

 

話を戻そう。

我々は、はあちゅう氏の不誠実な態度を前にして「アイツは童貞を見下している」と安易な結論を下しがちだ。

そう考えたくなるのは非常にわかるが、簡単に導き出した答えが正答であるとは限らない。

彼女は本当に、「童貞」を人畜無害で可愛がれる対象だと思っていたのかもしれないのだから。

 もちろん、人畜無害な相手だからといって粗雑に扱っていいわけがない。

噛まれた以上は己の振る舞いにおかしな点は無かったか、大いに反省してもらいたいものである。

 

最後に。

本論ではあえて「童貞」をチワワや毒蛇に例えたが、実際のところ「童貞」は愛玩動物でも危険生物でもなく、はあちゅう氏と同じ人間なのである。

人間を相手にしている以上、執拗に頭を撫でくりまわす態度も毒を怖れてむやみに敵視する態度も適切ではない。

あくまで同じ感情を持った人間として、対等に接することが重要だ。

はあちゅう氏に最も求められていることは、「童貞」と呼ばれる人たちが玩具でもコンテンツでもなく、彼女と同じ尊厳を持った人間であると認識することなのかもしれない。